姫発にとって、その日も相も変わらぬ一日だった。
朝見から始まって、各府からの大量の関係書類の認可、認可、認可・・・・・・。
しかもハリセンの監視付き。
ようやっと一日分終わらせると精も根も尽き果てて、本来ならば王たる者はこの後も重要な――ある意味最重要の――国務があるのだがそんな気力はどこにもない。
私室に続く廊下を這うようにして進み、私室からなだれ込むようにして寝所に入った。
無駄に広い部屋を呪いつつ、なだれ込んだ姿勢のまま匍匐前進で寝台まで進んでいく。
と、今まで冷たくすべやかだった床の感触が、何だかあたたかくやわらかいものに変わった。
鼻孔にはいぐさのいい香り。
「あー、きもちいーっ・・・・・・」
姫発はその場に身体を預け、至福の表情で寝の体勢に入る。
「やっぱ畳はいいよなー。俺の部屋にも敷かせようかな。
そしたらこうやって好きなときに寝っころがれるもんなー・・・・・・・・・・・・」
しばしの沈黙。
次の瞬間、姫発の上体ががばりと音を立てて起こされた。
「って、ここ俺の部屋じゃねーか。何で畳なんかあるんだよ!」
「そりゃあ、わしが敷いたからだ」
ぎこちない動きで姫発の首が横向けられる。
「じゃまをする」
よく見慣れた食えない笑みが目に映った。
あとしまつ
朝の鐘とともに格子が上げられ、そこから射し込む朝日が武王の目を覚まさせる。
日常の朝であり、今朝も変わらぬ・・・・・・はずであった。
「くっせえ!!何だよ、この臭いは?!」
目覚め最悪で寝台から飛び起きた姫発は、諸悪の根元に近づいた。
距離が狭まるにつれて、脳天にまで刺激が伝わり目が潤んでくる。
「早いな、姫発。調子はどうだ」
三角巾で鼻と口を覆い、いつの間にやら持ち込んだ釜で何かを煮詰めていた太公望は、肩を怒らせて進みよる姫発に目を細めた。
「最悪だっ!朝っぱらからこんなくせえのかがされて、いいわきゃねーだろ!」
そう怒鳴ると姫発は自ら格子を上げて回った。
部屋に風を通すと幾分か臭いもましになった。姫発は一仕事終えて釜の側にしつらえてある四畳半の間にどっかと座る。
そして黙々と釜の中の何とも形容しがたい色の液体を焦がさぬように木箆で混ぜ続ける太公望の横顔を眺めやった。
(何か・・・本当に帰ってきたんだな)
昨夜は太公望の顔を見たら気が抜けてそのまま寝てしまった。聞きたいことはたくさんあったが始めに口に出たのは質問ではなかった。
「よく帰ってきたな、太公望」
言ったのはいいがいまいち実感がなかったため、力ない声になってしまったが、太公望は振り向きもせずただ一つうなずく。
その太公望らしい反応に姫発は顔を輝かせた。
「戦いはどうなったんだ?
勝ったのか? みんなは、みんなは無事か? 何でおまえだけこっちに来たんだ?
楊ゼンとか、雷震子とか、武吉っちゃんとか・・・・・・」
にじり寄りながら矢継ぎ早に浴びせ掛けられる質問に、太公望は呆れ顔をしつつも、釜の火を止めて三角巾をはずした。
そして畳に胡座を構いて、興奮で近寄り過ぎる姫発を片手で制す。
「質問は一つずつせんか」
進行を止められた姫発も太公望と向かいになるように胡座を構いた。
「じゃあ、戦いはどうなったんだ?」
「勝った」
「みんなは無事か?」
「無事だ」
「どこにいるんだ?」
「仙界だ」
「何でおまえだけこっちに来たんだ?」
「休暇だ」
簡潔な返答にもかかわらす、いや、簡潔すぎるからこそ姫発は何だかしっくりいかない。何かある。だが何を聞いていいのかわからない。
しばし考えたが、何も思い付かなかった。長年の付き合いでこの男は自分に都合の悪いことは絶対に口にしないことはわかっている。それに、知りたいことはわかった。皆が無事ならばそれでいい。
姫発は立ち上がりかけて、もう一つ気になることがあったのを思い出した。
「あれは何だ?」
指差した先は未だ湯気を立てている釜。
「ああ、あれはおぬしのために作った薬だ」
そう言うと太公望は釜の中身をかき混ぜた。どろりとした液体が釜の中で動くたびに臭いも動く。
「ちょっと待て!そんなの腹に塗ったら臭くて仕事どころじゃねーよ!」
一度塗ったら三日は臭いが取れないだろう。城中のプリンちゃんに敬遠されること請け合いだ。
慌てふためく姫発に「安心しろ」と太公望は声を掛けた。
そうして椀を取り出すとその中にたっぷりと謎の液体を流し入れる。
脂汗を流して固まる姫発の眼の前に、太公望は笑顔で椀を差し出した。
「薬湯だ」
王の寝所の片隅に四畳半の間を作り、日がな一日菓子を食べてだらだら過ごす太公望。
周上層部のさらに一部に知らされた太公望の帰還は、彼らに難航している革命の事後処理に対して期待を持たせた。
だが、「休暇だ」と言い張る太公望に一同落胆する。
彼らも太公望の性格はわかり過ぎるほどにわかっていたからだ。
休暇に選んだところは場所が場所だけにおいそれと人が入っていけるところではない。そのようなわけで今日も太公望は誰にも邪魔をされず公然と“だらだら”を満喫していた。
「なあ太公望、おまえいつまでここにいるつもりだ」
姫発は暇を見つけては寝所に戻るようになっていたが、いつ帰ってきても太公望は四畳半の真ん中で寝そべって菓子を食い散らかしているか、寝くたれているかしか見たことがない。
今回は菓子を頬張りながら面倒臭げな一瞥で迎えられた。そしてまた傍らに築かれた菓子の山――周公旦や邑姜からもらっているらしい――に手を伸ばす。
「気が済むまでだ」
あいまいな返答をして今度は桃を頬張りだした。
――何を隠しているのか。
漠然とした焦燥感に駆られるが、姫発は何が聞きたいのかわからない。この焦りがうまく言葉にならない。
「丁度いい、そろそろ薬湯の時間だ。飲んでゆけ」
かけられた言葉に、姫発の頭の中で形作ろうとしていたものが霧散する。
一日三度飲まされる太公望特製の薬湯も、初めこそのた打ち回って悶絶していたものの、四日目になった今では味覚が麻痺し、だいぶ慣れてしまった。
思考を中断された姫発はのろのろと一回分の薬湯を飲み干すと寝所から出て行こうとした。
しかし、背後から太公望に呼び止められる。
「今度来るときはアンマンを持ってきてくれ。丼村屋のやつだ」
ますます姫発は肩を落とす。
「なあ、本当にいつまでいるんだ」
「気が済むまでだよ」
―続く
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300hitを踏まれたRINさまからリクをいただきました。
内容は全部書き終わってからということで。
あの5日間はずっと書きたかったのですが、機会がなくてずっとほっぽり出していました。
今回リクをもらって「よし、この機会に書こう!」と書き始めたのですが、どんどん長くなる・・・・・・(汗)
しかも、リクはどこへ・・・・・・?
という状態。
本当は一気にアップする予定だったのですが、あまり長いのを読んでもらうのもなんだなあ、と。
いや、そんなには長くはないんですけどね。今回くらいので4〜5話を予定(長い?)
そんなに長いの書いたことなかったんで、本人がすでにだれ気味。(ダメ)
相変わらず姫発に甘いママン太公望です。
しかもその過保護っぷりは、これからどんどん加速していきます(確定)。
だってうちの太公望さんが、勝手にどんどん王さまを甘やかしちゃうんだもの。
管理人の責任ではありません。決して。
それでは、頑張ってついてきて下さい。(笑)
